“1980年夏頃、ジョン・レノンプロデュースでのレコーディングの話が内々で持ち上がっていた。オノ・ヨーコを通して、ジョンも面白いと言ってくれているということで[66]、翌年レコーディングするつもりで曲を書きはじめていたが、1980年12月8日、ジョンはニューヨークで銃弾に倒れ幻となった[43][67]。当時、河口湖でバンド合宿中だったが、その日は練習を取りやめメンバー全員喪に伏した。”